【文字起こし】旧統一教会 拉致・監禁被害者インタビュー
ノンフィクション作家 福田ますみ
徳島市藤会議員 美馬秀夫
1986年までに少なくとも17人の旧統一教会信者が、 反対活動家や親族らによって拉致された後、 無理やり精神病院に監禁された。 そこでは、服薬強制、及び棄教強要が行われ、 脱会するまで監禁が続いた。
拉致・監禁被害者の美馬秀夫氏に凄惨な体験を聞く。
うちの弟に麻酔薬を打たれて精神病院に入れられてまでのね。
入り口に鍵を閉められて薬を飲まされますからね。
計られたという気持ちでしたね。
治療するっていその費用は入会金が20万円で人当たり月に50万から60万円。
ももちろん警察に話もしてるし人権養護局とかにも話をしてるけど
もうとにかく一切無視されたとま異常事態。異常事態ですね
インタビュー内容
吉村正さんの代理人だった上野忠義弁護士の調べによれば1986年までに17人の信者が精神病院に入院させられそのうち少なくとも6人が同一の病院に収容される。
これ同一の病院というのはおそらく共産党系の鶴ヶ丘病院だろうという風に思われます。
2023年の4月23日に当会票が行われた第20回統一地方選挙その選挙戦の中で1人の候補者がマスコミの注目を浴びた。
旧統一協会の信者であることを公表し統一地方線の後半戦でえ徳島市議選に立補してえ見事7戦を果たされたえ美馬秀夫先生73歳。
堂々と信念を比する未に感動し宗教を超えて支援する方も現れただずに宗教中波は関係なく見を勝たせたいと思って戦っているというま支援者の熱意え前回の22番目から20番目という当選の結果につがったとでこの美馬先生。
若かりし頃、親族によって精神病院に強制入院させられ棄教を迫られた被害者でいらっしゃいます。
美馬先生のえ事件にえ関与をした後藤富五郎は
1976年の6月頃に東京都練馬区に新生会ホームという改宗ホームを作って親の依頼を受け統一協会信者の拉致収容を開始しています。
後藤富五郎はこの拉致収容の方法をま自らこう語っているんですが。
相当ひどいです。彼こういう風に語ってます。
まずロープや鎖で手足を縛って眠らせる殴るのははっと我に帰らせるためだ。
その後、講義説得をやるえ最初は孤立した四畳半の部屋で鎖で縛って入れておくが
正気に戻ればま統一協会脱会すれば6畳二間の大部屋に移す。
治すと言ってますね。治療するっていう意味その費用は入会金が20万円で1人当たり月に50万から60万円さらに月3万円の回避をもらう。
うちの両親がそのご頃と交流があったうか連絡ができたんだと思いますね。
連絡したんだと思いますね。
それはどこからそこのルートがあったか私は知りませんね。
あただそれどうやってその先生を拉致して、そのどこに連れて行ってどうやって監禁するどこに監禁するとかていうことは
全えもう全部予定されてましたね。
その精神病院に入れるっていうことも全部
うんええええ全部
だからその後藤富五郎と話し合いができてたんだと思います。
でその1979年12月7日のことですが
先生は近所のお母さんの知人から食事に来ないかとれえええそこでえま実は私の弟が医者でして。うちの弟に麻酔薬を打たれてこれでまうちの両親にま輪で囲まれて、それでそこで麻酔薬を打たれたんでま車のままあいわゆるフェリーボートで神戸に行きまして、神戸から中央自車道で東久留米市かなあの久岡病院に行くことになったわけですね。
手錠をかけられたとか足を縛られたっていうのはもう記憶がない?
いやそれはあのあから分かったんですけどね車乗ってて意識が戻ったのはま中央道のとこでしたねそうすると
計られたという気持ちでしたね。
計られたそれ何時間ぐらいかかってるんですかずっと眠ってたと思いますね。私が意識がまはっきり戻ってきたのはその病院の部屋に入れられてからですねでもそれも先ほどの話もありましたように入り口に鍵を閉められてまあの精神病を感ちゅのは
もう鍵を閉められたら行くことがないできませんからね。
で窓に鉄格子がはまあ鉄格子は
そうですねま一あのま診断というかその落 良江院長のま話は最初聞いたように思いますけどどんな話かはよく覚えてませんけどもね宗教にえ来るのが病気だという風なことは言われましたけどその病名についてはですねはっきりは聞いてませんし私もあ覚えてませんはいで先生が収用されたのは5畳ぐらいの個室それはもう鍵閉めら出れないしですね
それに薬を飲まされますからね薬にやっぱり睡眠薬も入ってますからねその薬を飲ませる時の状況も何かかなりそれはもう厳しいですよあのあの
いわゆる薬を捨てたりはできないようにですね。
ちゃんとの薬を飲むのがま看護婦、看護師としてはそれは責任があるわけだからだからま飲まざ得ませんわね。
はい強制的にこま強制的に飲んでそれまま後で口を開けて飲んだかどうかを確認してますそれ
精神安定剤そう精神案でそうですね睡眠薬のそういう感じだと思いますその時は後藤富五郎という人が両親と色々協力して攻したうんまそれは時々あの彼が来てましたからね。あそっか弟妙実際来たわけですそう来てそうですほれでま色々起きするようになですね話をするわけですよどんな話をまそれは色々あの統一原理の内容についての話がありましたけように思いますけどそれは教義の問題だからねどっちが正しいとか間違ってるとかそれはもうそんなにそう決めれるもんでもないしですねそうです。
先生は久留米ヶ丘病院入院してもう出られない
うんえええこの病院で一生過ごすのかうんえどうしようもないうん道が開けないうん
でそれならここで伝動頑張ろうかと思った
ああ看護師さんや患者さんの中に3名のキリスト者がいるの発見したうんうんうん
で時々その後藤富五郎が病院に現れるえええでまあ改宗せよとかてこうやっぱりこう
罵声を浴びせたりするとなったり連れてきたメンバーおかしいと思ってるからですね
もう非常に馬鹿にするような意見とこれはあったように思いますねやっぱりこのなんか上から目線ごそう感そうそうそう
そうそうそうまみんなが間違ったような感じでねみんなそれぞれは考え方あると思いますのにね。
翌80年の2月ですかえ先生はその統協会が自分に対して人身保護請求を行ってのを知ったということになるんですかえそれはあの私は知らなかったん
ですけれども人身保護を裁判したんがえ増田正さんて統一協会のですねえ
あの古くからのの方でしてこの人身保護裁判についてはそのことを裁判所からあ病院に連絡があったんでしょうねそれをま言われたから
あ裁判にかかったんだなとそれは病院が先生の方にそそうという出ていかないいけませんから法に行かないいけないからまそんな感じ生しなきゃいけないです連があってああ裁判にかかったんだなということを知りましたねはいはいで
それは先生の前にえ強制入院させられた他の信者さんが先生もえ強制入院させられてるっていうのを知ってうんえで教団の方に知らせたっていうことそうですそこにあの
ま2人ともだったんかその2人があのいわゆる私の自分の後に今度入院されるのがおるんだというよなことをま聞いたんでしょうね。
口代にそれをま教会で話したんでしょうねま私もどかわからんてま教会でも探してたわけですからあだからそういう話が合うなという風な感じであの私がそこにいるということが分かったんだと思います。
その間じゃああの教団はやっぱり先生を一生懸探しそう探してくたんです探したと思います。
というのはだって今までこの国際勝共連合の徳島県ホームの事務局しててですね急にいなくなったんだからねどこに行ったんかと思いますよねだからま捜査を色したんだと思いますはいこのじゃ人身法護請求とえっと先生は裁判に行かれたんですか?
行きましそれでまあのいつに書たん
最初はねこの弁護士のとこに呼ばれました
弁護士のねあの人身保護裁判にはこの事実について色々聞かれました。
それなんだろう国選弁護人え国弁護人やねあはいだからその裁判所に請求をしてその国選弁護人にこの柏崎さんがなってもらってそれでほで行ってあの時も初めてあのはい病院から出ましたね私もよく覚えてますけどそれいつぐらいですかそのようなからもうこの再判決なるちょっと前だと思いますね2月に裁判所に提出されてえ3月4日に裁判があったわけだからその間だと思いますけどもねやっぱりでも早いですよねええもいや
というのはこういう裁判については人権の問題についてはもうあの1番最優にいけないそうです最優先しそういうようなことなんで最優先にこのあの裁判になったん
ですねこれ普通ですよねあの人身保護請求だとここまで迅速にしなくちゃいけない。
ところが吉村正さんの場合は同じように人身保護請求がされたのに裁判者が父があ
あそれは200何人の共産党系弁護団あが圧力をかけたでその中に郷路征記弁護士もうすでにいたなるほどそういうことだったらしい。
なるほどで結局一向に裁判が動かないのででその間に吉村さん自分で自力で脱出ああそうですかああそう
ですかでも本当にそれ由々しき自体です人そうほとんどそれまでないなかったなかったと思がこういう宗教迫害というかねそうです俺も精神病院に入れられてまでのねなかったとうんま異常事態です本当に異常態ええそれでまあの裁判所ではいえ釈放されてそのままますぐと関係と関係の深い病院にえうんあの一心病院ちゅうんですよ
ねはいそこにあの入院したんですねで裁判所に出定した時は先生はこうこう本人術みたいなのをなさったんですかその様子見てこれはもうすぐ社交だというようになってた思いますしああ先生ご自身は裁判者をどういう風に判断したのかまず第1点についてその病院は先生に気性精神病という病名をつけた診断書を裁判所に提出したと。
しかし裁判所はこの病気を認定しなかったとあと第2点裁判所はえ先生の入院手続きを違法だと判断したあえ病院はの同意により先生を入院させたと
しかし先生は既に成人に達していたああしって両親に神権がなく両親の同意ではだめだったあ精神衛生法第20条によればえ両親といえども成人に対した精神病院に入院させるにはその子の保護義務者として選任されねばならない。
でこの先生やあの前のあのやはり久留米ヶ丘病院に強制入院させられた女性2人ですよねの場合もえ久留米ヶ丘病院は3人が皆成人に達しているのに両親の同意だけでええでこれは家庭裁判所で両親が保護義務者として選任されていないにもかかわらずその本人の意思を無視して強制的に入院させていた。
ええでこういう風に判断したことによってま即その先生が解放されたということうんらしいんですけどあ
これよくお調べくださったこの通りですねあのご両親はこの裁判には全然もちろん関わっていらっしゃるなか相談したことはあると思うんだけど最後なんちゅうかなこれを了解するようなまあのおま印環押したんかそんなもなかったんかもわかりませんねだけどその後あのなんちゅうかなうちの両親もそういうにえま騙されてえしたというようなことで訴えましたからね。
民事でえご両親がいやいやあの私が協会がと教会の立場としてはいえいわゆる民事裁もしたんですよほも消したんですよご両親に対してましですまだから
両親は騙されたとあなるほどうんあそれで落医院長に対して後藤富五郎かな2人に対して落医院長と後藤富五郎えに対して民訴あそっか起こされたんですよねうんほで結果として訴したんちゃうかな先生のケースは当時普通の一般でも取り上げられてましたこれもえっと毎日新聞とか取り上げましたよね
ええ徳島新聞も乗ってたようですよだからそういう意味ではまあ当時のメディアは今
よりマだったっていうそそうだね
拉致監禁に関してそのま反統一が言い訳みたいに言ってる部分もありますが要するにその何にもしなかったええ家庭弁護が悪いっていう風に言う人たんたがいるわけですよま
それ反統一がそう言ってたりするだけどそれで私本部にまちょっと聞いたんです
けれどもえいや何もしなかったわけじゃなくてあのもちろん警察に話もしてるし
あとあのえっと何でたっけ人権養護局とかにも話をしてるけど
もうとにかく一切無視されたとうんうん