【文字起こし】拉致監禁被害者インタビュー/吉村正(元・京大原研) × 福田ますみ (ノンフィクション作家)
ガチャッとこう手錠をこうかけられましてね連れていかれました。
戸田光男っていう自分が拉致監禁していた刑事事件に該当するという述べて反対側の勢力は拉致監禁を繰り返すようになります。
青年たちが青春を返せ訴訟っていうのを郷路弁護士主導に起こしてきますから。
司法がいかに新居の自由に理解がないか特に新宗教を敵視してる。
拉致監禁だけだって大変なことなのにそれが4300人。しかもそれがシステムになって。あとビジネスになって。で無限ループのようになって。これを聞いて私は本当にびっくり。
こんなことは日本で行われていてどうしてマスコミは取り上げない?あと警察もなぜ動かない?かなりショックを受けました。人身保護請求をしてるにも関わらず、なかなか解放されない。一体どういうことなのか?吉村さんからご自身の体験を語っていただきたい。
私の事件が起きましたのは1987年でございます。
あの私が京大病院という病院から出てくる時にですね。いきなりこの目の前にその立ちはだかったこの男がいてですね。なんだろうっていうことで1、2歩後ずさりした時にですねま後ろからまた今度は逆に屈強の男たちがあの3〜4人飛びかかってきまして。足にこうタックルするような形でですね。まあのもう空中にこう持ち上げられてしまって。もうその一瞬何が起こったか分からないんだけども。
あこれがあのあ当時この信者の間で聞いていたですね。これが拉致監禁だと。気が付いた時にですね。車の大型のジャンプタクシーの中に組み伏せられて。上からこうガチャッとこう手錠をこうかけられましてね。名古屋方面に向かって連れていかれました。
中日本航空という当時のその両側にプロペラが立ってるねああいう小型の飛行機で。一路あの飛びました。
札幌丘珠空港に着きましたね。そこにあのま私を監禁
した人は戸田光男っていう猶予する会のグループだったんですけども、その戸田グループの事務員であるあのま共産党員と言われている島谷さとしという人物が空港に迎えにきました。
また10名ほどに囲まれて戸田アパートの3号室に私は連れ込まれていったわけです。窓とサッシは、金属パイプでこの十字にあの鉄格子がはまってますし。
ドアはこの特殊なあの鍵がしてまして。中からその鍵を持った人しかできないそういう扉です。
牧師の言葉に対して耳を傾けないようなですね、そういう態度であったり反発するような思いがあればここで座れと言ってこのやり座らされたりとか。私はかつてやってきた活動についてですね。根掘り葉掘りこう聞いてくるわけですけども。
白状するまでですね。あの追求をやめないとうんこういうようなあの厳しい時間をあの体験したりとかそういったことはありました。
私が監禁されてるアパートの隣がいわゆる戸田事務所といってこの事務所にはあの戸田アパートの事務員会長並びに脱会者であったり。場合によったらマスコミ関係の人もですね、たまに出していくような、えそういった場所として。
その後人身保護請求。これはえっと関係されてからどのくらいの時にしているっていうことを分かったんですかね。
当時あの戸田アパートではですね。この新聞の中に120名ほどの信徒の脱会をその2〜3年間でもやってるとはいありましたから。
その中の偽装脱会で教会戻っていったメンバーがいまして。そのメンバーが私がそこに監禁されてるということを教会側に伝えてくれること通して。
実は9月の17日にあの原研の側で、友人である伊勢屋さんっていう方から人身保護請求が裁判所に出されてるわけですけども。12使徒教会からパスカルというその人間が説得に来たり、あるいは日本基督教団のいうあの榎本英治という牧師が来たりま説得に応じていたわけですけども。
はいえ9月26日の日になってですねえ。この岩木弁護士というまこのこの方国選代理人と言って札幌在住で私の代理人として動いてくれるんですけども。私のためにこのあなた弁護士に来ました。
これはその監禁されてるところに入ってきたんですか?入っきました。弁護士なのでね。そうです弁護士なのでねおそらく事務所と交渉したしたと思いますけども。そして鉄格子が入ってることを確認し、そしてこのドアはね特殊なロックがしてあって出られないことを確認して。
そして私に対してはあなたも信仰今でも持ってるんですかと。もちろんその今は信仰持っていてね1刻も早く救出されたいんですということを意思を確認して、彼は帰ってきました。
裁判の今からの針を決めていく準備審査会が10月13日に大変大事だったという風に伺ってました。
これ後で前後して分かったんですけども、相手側の弁護士ってのはその郷路弁護士だけじゃなくて、その時点でま122名ほどのですね弁護団をこれは主に共産党系の弁護士たちが弁護団を組んで組織して、この裁判を戦おうとしてると。
そしてそのこちら側の弁護士はカトリックの信者でもあります上野弁護士さんと、そしてこの国選代理人の岩木弁護士の2人だけですね。
上野先生は信仰に対する考えというのはあの分かって理解してくださってる方ですねですね。
彼らが出してきたその裁判所に提出してきた書面というのがですね、子供が自傷他害の行動に陥る具体的危機に明している的危険にね現に直面しているとそういう風に訴訟で裁判官に訴えたわけですで。
これを防止するためには親が自ら同人を保護する以外他に方法がなくこのことが緊急に必要であるとの認識のもと。
理論的にはこういった話が裁判官であったりあるいはこの岩木弁護士であったりね、そういった人に通用はするはずはないないと思いたいところなんですが、現実のその司法の場においてですね、そういう信教の自由という概念が確立されていないがために、理論的に法律的にね言われてることと実際に彼らがどう動くのかっていうのはあくまで別の内容であるという風に私はこのそこはやっぱりしっかりと認識しないといけない面があると思います。
私もその統一協会を巡る色んな裁判記録本部の方から色々見せてもらっただけど司法がいかにはい信教の自由に理解がないか。
特に新宗教をまるで敵視してるみたいそうですね。日本社会だけじゃなくて司法においても宗教に理解がない信仰の自由ってすごく大切な概念なのに、それが守られてない。
しかし1人の人間を拉致監禁すごく単純に考えればいいわけじゃないですか?1人の人間をそのその自由を奪って身体自由を奪って拉致監禁って絶対悪ですよね。それがどうしてこのようにまかなり屁理屈によって。弁護士ですよねですね。
ちょっと本当にもう異常時代うんだと思います。
ところがもう待てど暮らせとですね、本来この人身保護請求ってのは1週間以内に審議を開かなといけないま私はもう信仰やめないことは誰の目から見てもね明らかなわけなんですよ。
父母から見てもねこれは難しいという風に思ったと思います。
10月の28日に初めて第1回審問がが開かれました。裁判の場にあの私も車で連れて行かれましたね。
うんだから裁判が本当に始まる10分前にようやっとこの岩木弁護士に会ってね私はでは実際その場に参加できるのかと言ったら分からないって言うんですよね。
その場にお前はこの喋っていけないとでその岩木代理人を通して間接的に話すんだったらま構わないとなんだそれと思いましたけどもね。しかしま出ないよりはいいですから私がこの現場に出てきましたのでもうこちらの後ろにいた弁護士たちがですね、もう一斉に立ち上がってですね、裁判官に裁判長と言って。こう本人が今せっかく出てきてるのでね本人がどういう気持ちでるか今語らせるべきですと。そういう風に言ってましぶしぶ裁判官がじゃああのあなた今どういう気持ちになってるんだという風に聞きました。
私は直接話せなくて岩木大代理人が立ってですね本人はそのえ拉致監禁されてると言ってると。一刻も早く信仰持ってるのでね解放したいとそのまま伝えてくれたわけです。
でその後にあの私の弁護士はあの仮釈請求と言ってですね、それがこのその場から出てあの身柄を移してですね…そういう立場で裁判を戦っていくための仮釈放請求書これを提出してくれました。
しかしこれもですねなぜか却下されていくという見通しがっきりいたしまして、ただねやっぱその頃になるともう向こう側もですね。だいぶこの足並みがバラバラになってきてまして、ここまで来るともうこの事態の成行はいわゆる共産党系の弁護士の采配にかかってるようでなります。
ですから牧師であったりね、あるいはこの脱会者であったり、彼ら自分たちの何したらいいかわからないようなちょっと浮き足あった状態でこの裁判訴訟のある10月28日1日前に鉄合士を外し始めたんですよ。
これはもうマスコミが写真取りに来ますのでね。写真撮りに来る前にそうやって鉄格子がはまってるのが映るとまずいっていう判断があったんでしょうね。
うんで岩城弁護士からとにかく11月7日までにね。あのこの仮釈法請求が出されるかどうかは決まるけども、それを過ぎるようだったらもう難しいと思ってくれと。こういう状況の中で7日も過ぎまして。見込みなしということで、私はもう裁判をねこのここでどうしてもやるという立場離れて。
いわゆる自由になった立場で改めて戦おうと決断してえ11月9日第1回目になかなかいつもこう散歩す時は親がどっちかついてくるんですけども、初めてね1回目はその自分1人でジョギングしてくると言ってそれで20本走って帰ってきたわけですね。
まちょっと1回あの安心させないとですねいけないっていうのもあって。ええ一応帰ってきました。そしてはいでで2回目11月10日にはですねま本当にこれでもう最後だっていうことで自分で自力脱出することにできたわけなです。
郷路弁護士は逃げた逃げたと言って主張するんですけども。本当に違法の立場で逃げたんであればねちゃんとした法律の手続きを通して、私は呼び戻すばいいわけなんですよ。それができないっていうことはね、これがこのいかに違法なもので元々方な拘束状態だったかということ示してると思いますね。
その場所から脱出してもう次のあの12月にはですねこの刑事告訴しました。
当時猶予する会の事務所っていうのはかなりあ過激な
拉致関係をやってましてまこの脱会リストというこういうあの脱会者のリストがあるぐらいですね、相当の数の関係をやってるわけなんですあこれあの有料そる会の事務所のからの情報でこれまでに約120人うん半数以上は女性です。
大阪関係の暴力団はいそれを動員さんだと思うんですね。
ですからそういった動きがあって警察もある意味興味を持ってしまってですね。それで戸田さんの場合はどんどんどんどん捜査が進んだと思います。まそういうこともあってえ約1年後にですね。彼は検事を通してですね。
謝罪する意思があるということをはいま私たちに打診してきました。
戸田光男さんが最後にま自分が拉致監禁していた内容とですねこれは刑事事件に該当するということ述べたその謝罪文をあの検察官の目の前であの書いて。うんそしてえいわゆるあの告訴取り下げるようにななったわけです。
一応こして裁判の方は終わりまして残された課題の根の部分はですね、そのまま残ってる状態で。あの反対側の勢力はより巧妙な形でこの拉致監禁を繰り返すようになります。
この北海道においても先ほど出てきたパスカルというこのフランス人の今はマインドコントロール研究所の所長みたいのしてますけど。
その彼がそういう拉致監禁現場に出向いてですね。うんそしてあの数百名に渡る脱会者を出し。その青年たちが今度は原告となって青春を返せ訴訟というのを郷路弁護士主導に起こしてきますから。そういう根っこの部分はそのまま残ってしまっていると。