拉致監禁被害者インタビュー 福田ますみ❎後藤徹(12年5ヶ月監禁被害者)

統一教会 拉致監禁被害者インタビュー

後藤徹(12年5ヶ月監禁被害者)❎ 福田ますみ(ノンフィクション作家)

1. 後藤さんの背景と家族構成
後藤さんは3人兄弟(兄、後藤さん、妹)の次男で、当時東京に住んでいた。両親は大阪在住。1987年当時、後藤さんを含む3人兄弟が統一教会の信者だった。両親はこれを問題視し、脱会を目的とした拉致監禁を計画。家族構成と地理的状況が監禁実行に都合が良かった。
2. 初回の監禁(1987年)
  • 兄の監禁: 1987年春、マスメディアによる統一教会バッシングの影響を受けた家族が、まず兄を1ヶ月間監禁。兄は脱会し、教会を「間違い」と認識するようになり、逆に家族側に立って熱心に動くようになった。
  • 後藤さんの監禁: 同年10月、兄主導で後藤さんが京王プラザホテルに呼び出され、12週間監禁された。父に呼び出された形だったが、統一教会の信者2人が護衛として同行した。しかし、エレベーター内で拉致され、監禁場所へ移された。
  • 監禁の状況: 宮村峻という人物が関与し、元信者を連れて脱会説得を実施。情報遮断と一方的な説得が行われ、後藤さんは宮村峻に最悪の印象を抱いた。日曜礼拝の隙をついて逃亡に成功。
3. 逃亡後の潜伏生活
初回監禁後、再拉致の恐怖から後藤さんは潜伏生活に入った。名前を「後藤徹」から「鈴木ユウジ」に変え、教会関係者と別の宿舎で暮らすなど身を隠した。ワゴン車を見ると拉致を連想し、異常なまでの警戒心を抱いた。家族との関係修復を試み、父が「もうしない」と約束したため、時折実家に帰るようになったが、半信半疑だった。
4. 2回目の監禁(1995年9月~2008年2月)
  • 発端: 1995年9月、31歳の時に自宅へ帰った際、兄と親族8人(親戚および宮村峻の元信者社員を含む)が再び拉致を実行。オウム真理教地下鉄サリン事件(1995年3月)の影響を受け、家族が「統一教会信者は危険」と判断した可能性がある。
  • 監禁期間: 12年5ヶ月(31歳から44歳)。人生の働き盛りである貴重な期間を奪われた。
  • 監禁の内容:
    • 情報遮断と脱会強要。宮村峻と元信者が説得を行い、反論すると緑茶を顔にかけられるなどの暴行を受けた。
    • 長期間のストレスで精神が追い詰められ、自殺を考えた。幻聴(音楽)が聞こえるほどの状態に。
    • ハンガーストライキを実施。30日後危険を感じて訴えたが、その後70日間ほぼ食事なし(1日3回、直径7cmの小鉢に7割の粥とスポーツドリンク1Lのみ)。家族が食事する中、生ゴミ(キャベツの芯、リンゴの皮など)を盗んで食べ、飢えをしのいだ。
  • 解放: 2008年2月、12年5ヶ月後に唐突に「出てけ」と言われ解放。金銭的支援を求めたが拒否され、靴を投げつけられ玄関から放り出された。
5. 監禁の背景と費用
  • 関与者: 親族が直接実行しつつ、背後で宮村峻と松永某が主導。宮村峻は脱会説得の専門家として元信者を動員し、年間300件以上の信者を監禁していたとされる。
  • 費用: 両親が約1億円を負担。捜査した刑事がジャーナリスト米本和広に「これ以上出費できないから解放した」と証言。
6. 民事裁判と結果
  • 提訴: 後藤さんは親族、宮村峻、松永を提訴。親族の直接的不法行為に加え、宮村峻と松永の「教唆」あるいは「幇助」が認められた。
  • 賠償額: 宮村峻に1100万円、松永に440万円の賠償責任(合計2200万円の半分ずつ)。親族も責任を負ったが、誰が支払ったかは不明。
  • 意義: 背後にいる第三者の責任が司法で初めて認定された画期的判決。被告側は判決後、予定していた記者会見を中止するほど動揺。
7. 後藤さんの懸念
現在、統一教会への解散命令請求が進む中、後藤さんは同様の拉致監禁が再び横行する危険性を危惧。国家による教団解散が家族の不安を煽り、宮村峻のような人物が再び暗躍する可能性を指摘し、監視の必要性を強調している。