社会党の北朝鮮拉致関与疑惑 - 柏崎視察が暴く社会党と拉致の隠された関係

社会党北朝鮮拉致関与疑惑 - 柏崎視察が暴く社会党と拉致の隠された関係

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舘雅子氏(元東久留米市市議)は、1980年代の行政視察での体験を通じて、北朝鮮による拉致問題社会党や左翼勢力の関与に気づき、その背景に自虐史観やメディアの沈黙があったと主張し。特に柏崎での出来事は、地域住民の協力や社会党の思想的影響を示す事例として、歴史的に重要な証言だと位置づけている。
1. 体験の背景と行政視察(1980年代初頭)
  • 時期: 昭和58年(1983年)または59年(1984年)頃。
  • 状況: 舘雅子氏は東久留米市市議として、新潟県柏崎市へ行政視察に赴いた。視察テーマは給食や福祉で、柏崎刈羽原発も訪問先の一つだった。
  • 出来事: 視察終了後、原発から宿(水砂浜近くの松林の中)へ歩いて向かおうとした際、市職員に突然車に乗せられ、「とんでもない場所」と言われる。職員は顔色を変え、理由を明かさなかったが、海の向こうが「外国」(北朝鮮を暗示)と示唆された。
2. 北朝鮮との接触拉致問題への気づき
  • 宿での出来事:
    • 宿に到着後、女将に尋ねると、「向こうは外国(北朝鮮)」と答え、北朝鮮船からの不法上陸が問題だと知る。
    • 地元住民が北朝鮮の上陸者対応に困り、日本漁業組合が「連れていく」形で協力していたことが判明。舘はこれが拉致問題と関連していると直感した。
  • 当時の認識:
    • 1980年代初頭、北朝鮮は日本で「良い国」と見られる風潮があり、国会で北朝鮮関係者が話をすることもあった。舘も当初は好印象を持っていたが、この体験で疑念を抱く。
3. 社会党や左翼勢力との対話
  • 宿での出会い:
    • 翌朝、宿の母屋で7~8人のグループ(普段着や袴姿)と遭遇。彼らは舘を「先生」と呼び、質問を促した。
    • このグループは北朝鮮の金主席による「南北統一」を支持し、自民党長期政権打倒を目指すと主張。国鉄分割民営化反対運動とも結びつき、「労働者潰し」と批判した。
  • 社会党の関与:
    • グループの一人が社会党を称賛し、北朝鮮との協力が「当たり前」と発言。統一後は「日本を分裂させる」ことも辞さないと語る。
    • 舘はこれに反論し、社会党北朝鮮の力を借りるのはおかしいと指摘。すると相手は、市川房枝社会党の理解者として持ち出した。
  • 市川房枝をめぐる論争:
    • 舘は市川房枝がどの政党にも中立で、社会党に盲従する人物ではないと反論。彼女の死(1981年)や無党派姿勢を挙げ、誤解を正すと相手は黙った。
4. 拉致問題と地元の空気
  • 拉致への協力:
    • 地元住民や漁業組合が北朝鮮船と連携し、拉致対象者(警察や格闘技に関係ない、地縁のない人物など)を沖の船に引き渡す仕組みがあったと示唆される。
    • 舘が「人さらい」と表現すると、相手は「口に出してはいけない」と制止。拉致が公然の秘密として扱われていた様子がうかがえる。
  • 地域の特殊性:
5. メディアと証言の扱い
  • 記録とテレビ朝日:
    • 舘は体験をテープに録音し、テレビ朝日の報道部門に提供。しかし受け入れられず「握り潰された」と感じ、その後テープは紛失した。
    • 戦後マスコミの自虐史観や左翼への忖度が原因で、不利な情報が報じられなかったと舘は分析。
  • 歴史的証言としての価値:
6. その後の確認と闇
  • 宿の現状:
    • 最近、知人が調べたところ、宿は現存するが営業しておらず、荷物置き場に。女将は亡くなったとの情報。
  • 警察の関与:
    • 当時、警察もある程度状況を把握していたが、動かなかった「暗い闇」があったと舘は推測。

社会党の関与に関するポイント
  • 北朝鮮との連携: 社会党の一部が北朝鮮を理想化し、「統一」運動の中で拉致問題を黙認または容認する姿勢を取っていた可能性。
  • 政治的意図: 自民党政権打倒や国鉄民営化反対を掲げ、北朝鮮の力を利用しようとした勢力が存在。社会党がその中心にいたと舘は見る。
  • 体験談: 舘氏の直接体験や対話から、社会党関係者の思想的傾倒が拉致問題と結びついた状況が浮かぶ。