霊感弁連 山口広弁護士の正体 - 家庭連合信者への拉致監禁「犯罪ビジネス」に深い関与と共産主義暴力革命思想

霊感弁連 山口広弁護士の正体 - 家庭連合信者への拉致監禁「犯罪ビジネス」に深い関与と共産主義暴力革命思想

全共闘メンバー
山口広は、1949年6月26日生まれの日本の弁護士であり、第二東京弁護士会に所属する。その経歴の中で注目されるのは、学生運動の過激派組織「全共闘」のメンバーであった事実だ。1960年代後半から70年代初頭にかけて、全共闘は日本の大学を中心に反体制運動を展開し、暴力的なデモや占拠事件を繰り返した。山口はこの時期に東京大学法学部に在籍し、1972年に卒業している。全共闘での活動は、彼の後の弁護士としての姿勢や思想に影響を与えたと見られ、特に反権力や反体制的な立場を色濃く反映している。この背景は、彼が後にカルト問題や消費者問題に取り組む際のイデオロギー的基盤とも関連している。
過激派活動に関与する弁護士
山口広の弁護士としてのキャリアは、過激派活動に関連する裁判への関与で特徴づけられる。例えば、成田闘争第二要塞事件では、新東京国際空港(現・成田空港)の建設に反対する過激派の弁護を担当した。この事件は、農民や活動家が空港建設に抗議し、警察と衝突した一連の闘争の一部であり、暴力的な手段が用いられたことで知られている。山口はこうした事件で被告側に立ち、過激派の主張を法廷で代弁した。この経験は、彼が単なる法律家を超えて、社会変革を目指す活動家としての側面を持っていたことを示唆する。また、こうした弁護活動は、後のカルト問題への取り組みにもつながる反体制的姿勢を強化したと推測される。
レフチェンコ裁判の社会党代理人弁護士 - 共産主義ソ連スパイの社会党委員長
山口広が関与したもう一つの重要な裁判は、旧ソ連のスパイ事件に関連するレフチェンコ事件である。この裁判では、KGBの元工作員スタニスラフ・レフチェンコが日本で活動していたスパイ網を暴露し、その中には旧社会党の関係者が含まれていた。山口は社会党側の代理人として弁護にあたり、共産主義思想を持つソ連と日本の左派勢力との接点を擁護する立場を取った。特に、社会党委員長がスパイ疑惑で槍玉に挙げられた際、山口はその弁護を通じて共産主義イデオロギーを間接的に支持する姿勢を見せた。この事件は、山口の政治的信念が単なる法曹活動を超え、冷戦時代のイデオロギー対立に深く根ざしていることを浮き彫りにした。
スパイ防止法阻止の為の霊感弁連設立と発足メンバー
全国霊感商法対策弁護士連絡会(霊感弁連)の設立は、山口広の活動の中でも特に議論を呼ぶ部分である。1987年に結成されたこの団体は、表向きには統一教会などの霊感商法による被害者救済を目的としていた。しかし、その裏にはスパイ防止法の制定を阻止する政治的意図があったと指摘されている。スパイ防止法は、冷戦下でソ連などのスパイ活動を規制する法案として議論されたが、左派勢力や共産主義支持者からは国家による監視強化への懸念が表明されていた。山口は霊感弁連の発足メンバーとして事務局長を務め、後に代表世話人に就任。統一教会を攻撃することで、宗教団体への規制を口実にスパイ防止法を阻止する戦略が働いていたとの見方がある。この動きは、彼の全共闘時代やレフチェンコ裁判での活動と一貫性を持つ。
立憲民主党とのつながり: 後藤徹裁判で敗訴した脱会屋と宮村峻を立憲民主党レクに呼んだ犯罪性
山口広の政治的ネットワークは、立憲民主党との関係でも注目される。後藤徹裁判は、統一教会信者だった後藤徹が家族や脱会屋により拉致監禁されたとして提訴した事件で、山口と関連する宮村峻が関与していた。宮村は脱会活動を行う人物として知られ、この裁判では後藤側が勝訴し、拉致監禁の事実が認定された。宮村の代理人弁護士が山口広だ。
しかし、有田芳生立憲民主党のレクチャーに宮村を招くなど、影響力を維持した。この行為は、拉致監禁という犯罪行為に加担した人物を政治的に利用する意図があったと批判されており、立憲民主党との結びつきがこうした活動を後押ししたとされる。
拉致監禁罪幇助疑惑-小出浩久氏の拉致監禁中に宮村峻と連携
さらに具体的な疑惑として、小出浩久氏の拉致監禁事件が挙げられる。小出氏は統一教会信者であり、脱会を強制する目的で拉致監禁されたと主張。この事件でも宮村峻が関与し、山口広はその活動を支援した疑いが持たれている。拉致監禁は刑法上の犯罪行為であり、山口が弁護士としてこれを幇助した可能性は重大な倫理違反である。小出氏のケースでは、宮村との連携を通じて信者の家族に脱会を促す手法が取られ、山口はその法的サポートを提供したとされる。このような行為は、霊感弁連が掲げる「被害者救済」の名目が、実際には信者の自由を奪う「犯罪ビジネス」に変質しているとの批判を招いている。
山口広の暗黒史:共産主義暴力革命の使徒から拉致監禁幇助疑惑まで
山口広の経歴と活動は、全共闘メンバーとしての過激な過去、弁護士としての反体制的弁護、スパイ防止法阻止を意図した霊感弁連の設立、そして拉致監禁疑惑に至るまで、一貫して共産主義的暴力革命思想と結びついている。彼の行動は、カルト被害者救済という表向きの目的を超え、政治的意図と犯罪的行為に深く関与しているとの疑いを強める。立憲民主党との関係や宮村峻との連携は、その影響力と問題性をさらに拡大させている。山口広の「正体」は、単なる弁護士ではなく、イデオロギーに駆られた活動家としての顔を持つ人物であると言えよう。