「棄教しなければ永遠に監禁」――この言葉は、家庭連合(旧統一教会)の信者に対する拉致監禁という非道な犯罪の核心を突く。1966年から2015年までの50年間、約4300人以上が信仰を理由に拉致され、自由を奪われ、精神を破壊されるまで強制棄教を迫られた。これは戦後日本最大の人権蹂躙事件であり、人間の尊厳に対する許されざる挑戦である。

この犯罪の実行者である「脱会屋」たちは、信者の家族を操り、拉致監禁を「救出」と偽って正当化してきた。広島の法廷で、脱会屋・尾島淳義は200人もの拉致監禁に関与し、強制棄教を拒む者を一人も解放しなかったと自ら認めた。「棄教しない限り解放しない」という残虐な方針は、人間の良心を完全に踏みにじる。尾島は逮捕・監禁罪に該当する行為を自覚し、刑事告訴され起訴猶予処分を受けたが、この犯罪は長年野放しにされてきた。

被害者の苦しみは筆舌に尽くしがたい。12年半監禁された後藤徹さんは、体重39キロに衰弱し「骨と皮」の状態に追い込まれた。自殺した者、逃亡を試みて高層階から飛び降りた者、性的暴行を受けた者、監禁下でグルーミングされて不倫相手にさせられた女性、廃人、PTSDに苦しむ者――これらの悲劇は、拉致監禁が単なる信仰妨害ではなく、肉体と精神を破壊する非人道的犯罪であることを証明する。
家庭連合父兄を騙す犯罪「拉致監禁ビジネス」により家庭崩壊
さらに卑劣なのは、家族の絆を悪用した点だ。脱会屋は親に不安を煽り、拉致監禁を唆す。被害者の中には「親から精神的強姦を受けた」と訴える者もいる。信頼する家族による裏切りは、修復不可能な心の傷を残す。この行為は、親子関係を破壊し、人間として最も大切な絆をずたずたにする。娘が監禁中にレイプされたことを後悔した父親が自殺した事例もある。
なぜこの残虐行為が50年も放置されたのか。警察の怠慢、マスメディアの沈黙、社会の無関心が被害者を孤立させ、脱会屋の悪行を助長した。国連や米国国務省が日本政府に問題対処を求めたにもかかわらず、国内では十分な対策が取られなかった。これは、日本が信教の自由と人権を守る責任を放棄してきた証左である。

さらに許しがたいのは、こうした人権侵害を軽視するジャーナリストの存在だ。宗教問題を扱う鈴木エイト氏は、拉致監禁の被害者数である4300人の根拠を問うたが、一人でも拉致監禁が起きた事実があれば、その悲劇に心を痛め、メディアで周知するのがジャーナリストの務めではないのか。
後藤徹氏が12年半の監禁という地獄を耐え抜き、名誉毀損裁判で鈴木氏に勝利したにもかかわらず、鈴木氏は謝罪すらしない。この不誠実さは、被害者の苦しみを無視し、人権感覚の欠如を露呈するものだ。
一人の人間の生命の尊厳が踏みにじられた事実を前に、数字の検証に終始し、謝罪を拒む姿勢は、ジャーナリストとしての倫理を欠く不届きな態度である。鈴木氏のこの無神経さは、拉致監禁の被害者を再び傷つけ、犯罪の深刻さを矮小化する行為に他ならない。その態度は、報道の名の下に人権を軽視する偽善として、最大限の非難に値する。
拉致監禁は、信仰を理由とした人権差別と暴力の極致だ。強制棄教は個人の精神を奴隷化し、自由な意志を奪う究極の抑圧である。私たちはこの犯罪を全力で糾弾し、二度と繰り返させない社会を築かねばならない。被害者の声に耳を傾け、脱会屋の罪と鈴木氏のような無責任な報道者を白日の下に晒し、司法に責任を果たさせる。
今こそ、信仰の自由と人間の尊厳を守るために立ち上がる時だ。拉致監禁という闇を許すことは、人類の良心に対する裏切りである。