『死闘のウラ側』イヤガラセ5329日(鈴木エイト敗訴)

『死闘のウラ側』イヤガラセの5329日(鈴木エイト敗訴)


目次
<第1章>
  • この世に一人しかいないお姉さん
  • 統一教会との出会い
  • 違法な拉致部屋
  • 売れないバントマンから『拉致監禁撲滅キャンペーン』イヤガラセ活動家へ
  • 鈴木エイトとして生きる
<第2章>
  • 拉致監禁運動の暗闇の先で
  • ヤミをたたえた渡辺博の登場
  • 脱会宣言(拉致監禁宣言)
  • 監禁派のパシリ、再び埼玉へ
<第3章>
  • あの男へのイヤガラセ
  • 繰り返されたイヤガラセの末に
  • 三六歳からのイヤガラセ
  • 合法と違法の狭間で
  • 中国共産党を愛せよ
  • 目指すは松濤本部
  • 反撃できない(鈴木エイト三部作)
  • 許されない理由
<第4章>
  • 自分のことは棚においた告訴
  • 話にならない行動
  • ニ対十の戦い(後藤徹裁判の弁護士数)
  • ジャーナリストの死(裁判敗訴)
  • 追い詰められた人々の断末魔(全国弁連拉致監禁ビジネス暴露)
  • まったく不十分な“勝訴判決”
  • イヤガラセし〇年〇か月(5329日を年月で計算)
<終章>
  • 拉致監禁と強制棄教の内情(監禁派のパシリ)
 
『死闘のウラ側』イヤガラセの5329日(鈴木エイト敗訴)
<第1章>
この世に一人しかいないお姉さん
鈴木エイト氏(以下、鈴木氏)は、ジャーナリストとして旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合、以下家庭連合)を追及する活動で知られている。その原点は、姉が家庭連合に入信したことにある。姉の入信は鈴木氏にとって衝撃的な出来事であり、家庭連合への反感を抱くきっかけとなった。この個人的な経験が、彼の反統一教会運動の出発点となった。
統一教会との出会い
姉の入信後、鈴木氏は反統一教会団体と接触を深めた。全国霊感商法対策弁護士連絡会全国弁連)などの団体と関わりを持ち、活動の基盤を築いていった。全国弁連は、家庭連合信者に対する「保護説得」と称する拉致監禁や強制棄教を正当化する立場を取ることが多く、鈴木氏もその影響を受けた可能性がある。
違法な拉致部屋
家庭連合信者に対する拉致監禁は、1990年代から2000年代にかけて深刻な問題だった。信者を家族がマンションの一室に閉じ込め、脱会を強要する事例が多発した。後藤徹氏(以下、後藤氏)は1995年9月11日から2008年2月10日までの12年5カ月(4536日間)、家族やキリスト教牧師らによって監禁され、脱会を強要された。2015年、最高裁で親族らに2200万円の賠償を命じる判決を勝ち取り、監禁行為が違法と認定されている。こうした「違法な拉致部屋」の存在は、家庭連合や被害者団体から強く非難されており、米国国務省や国連も人権侵害と指摘している。
売れないバントマンから『拉致監禁撲滅キャンペーン』イヤガラセ活動家へ
鈴木氏はかつてパンクバンドのボーカルとして活動していたが、成功を収めることはできなかった。その後、反統一教会運動に身を投じ、ジャーナリストとしてのキャリアを築いていく。しかし、拉致監禁被害者を「引きこもり」と揶揄するなど、被害を矮小化する発言を繰り返し、違法行為を擁護する姿勢が問題視されている。
鈴木エイトとして生きる
「鈴木エイト」はペンネームで、「やや日刊カルト新聞」の主筆として活動を開始。メディアにも頻繁に登場するようになったが、その発言は物議を醸し、後藤氏への名誉毀損とされる発言が裁判に発展した。
<第2章>
拉致監禁運動の暗闇の先で
家庭連合によると、約4300人の信者が拉致監禁の被害を受けた。米国国務省や国連もこの問題を人権侵害と認定している。後藤氏は12年以上の長期監禁に耐え、信仰を守り続けた。この問題は、反統一教会側が「保護説得」と主張する一方、被害者側は犯罪行為と訴えている。
ヤミをたたえた渡辺博の登場
渡辺博氏は、家庭連合信者の拉致監禁に関与したとされる弁護士だ。全国弁連の事務局長として活動し、信者の親に手紙を送り、監禁を誘導する役割を担った。2011年、渡辺氏は後藤氏の知人である健さん(仮名)の実家に手紙を送り、監禁を促した。この手紙は、鈴木氏が運び役として関与したと指摘されている。
偽装脱会宣言
統一教会側は拉致監禁を「保護説得」と呼び正当化してきたが、後藤氏のような被害者はこれを犯罪と主張。後藤氏は監禁中、信仰を捨てることを拒否し続けたため、監禁が長期化した。医師の小出浩久氏も1992年に2年間にわたり拉致監禁され、壮絶な体験を強いられた。都内の病院で勤務中、埼玉の実家に帰省した際、親族ら20人に拉致され、脱会屋・宮村峻氏と元信者たちによる強制棄教を迫られた。小出氏は「脱会しなければ永遠に監禁される」と恐怖を感じ、家族が精神的に追い詰められる姿を見て、やむなく「偽装脱会」(監禁から解放されるため脱会を装うこと)を選択。しかし、監禁中には逮捕監禁罪幇助の疑いがある週刊文春やTBS「報道特集」、有田芳生氏(当時ジャーナリスト、現立憲民主党衆院議員)、さらには拉致監禁を知る紀藤正樹弁護士が関与。小出氏は新潟の山荘で有田氏と週刊文春の記者から取材を強要され、有田氏は「一年間も閉じ込められていて、よく耐えていられましたね」と発言し、監禁を知りながら黙認していた。こうしたメディアや関係者の対応は、拉致監禁問題の闇を深める一因となっている。
監禁派のパシリ、再び埼玉へ
渡辺氏の手紙作戦には、鈴木氏が「監禁派のパシリ」として関与。2011年4月末、鈴木氏は健さんの実家を訪れ、手紙を渡した。この行為は監禁を誘導する目的があったとされ、鈴木氏の行動は監禁派の支援者としての役割を示している。
<第3章>
あの男へのイヤガラセ
鈴木氏による後藤氏への「イヤガラセ」は2010年7月1日に始まった。ニューヨークでのICSA国際カンファレンスで、鈴木氏は家庭連合の「拉致監禁撲滅キャンペーン」を批判し、後藤氏を「象徴」と揶揄。これが5329日間(2010年7月1日から2025年1月31日まで)のイヤガラセの始まりとなる。
繰り返されたイヤガラセの末に
鈴木氏は「やや日刊カルト新聞」や「情報ライブ ミヤネ屋」で、後藤氏を「引きこもり」や「どうでもいい」と発言。4536日間の監禁被害を矮小化し、後藤氏の社会的評価を下げる発言を続けた。2023年10月4日、後藤氏はこれを名誉毀損として鈴木氏を東京地裁に提訴した。
三六歳からのイヤガラセ
鈴木氏は2009年、「やや日刊カルト新聞」を創設し、反統一教会活動を本格化させた。当時、鈴木氏は36歳だった(1973年生まれと推定)。その翌年、2010年に始まった後藤氏へのイヤガラセは、鈴木氏が36歳から始めた反統一教会活動の一環とも言える。後藤氏は監禁からの解放後、被害者の救済活動に尽力していたが、鈴木氏の発言は彼の活動を妨害する形となった。
合法と違法の狭間で
鈴木氏は自身の行動を「ジャーナリズム」と主張するが、拉致監禁を擁護する発言は法的・倫理的に問題視されている。後藤氏の裁判では、監禁行為が違法と認定されており、鈴木氏の発言も名誉毀損と判断された。
中国共産党を愛せよ
家庭連合への拉致監禁のように、ウイグル強制収容所チベット法輪功への弾圧、さらには臓器売買といった自国民への大規模な人権侵害を続ける一党独裁中国共産党を愛するなら、民主化しか道はないと考える人もいるだろう。
目指すは松濤本部
鈴木氏は家庭連合の田中富広会長をターゲットに、TV局を同行してパパラッチ的な取材を行うなど、過激な追及を続けてきた。しかし、こうしたメディアの関与には問題が多い。過去には、読売グループの日テレ「情報ライブ ミヤネ屋」で鈴木氏が後藤氏を「引きこもり」と発言し、名誉毀損で敗訴している。また、TBSでは後藤氏が抗議した事例がある。最高裁が後藤氏の拉致監禁の加害者と認定した義理の姉が、被害者として番組に出演するという事実誤認があったのだ。日本のテレビ局は約50年間、拉致監禁問題をタブー視し、報道を避けてきた歴史がある。拉致監禁撲滅を目指すどころか、加害者側を被害者として出演させる異常性が問題視されており、メディアの姿勢に疑問が投げかけられている。
反撃できない(鈴木エイト三部作)
鈴木氏は家庭連合関連で3つの訴訟に直面している。1つ目はUPF-Japanが「安倍元首相に5000万円を渡した」との虚偽発言を理由に提訴した名誉毀損訴訟(2025年5月14日判決で棄却)。2つ目は後藤氏の名誉毀損訴訟。そして3つ目は、信者A氏がプライバシー侵害で提訴した訴訟(2024年9月17日提訴)。これら「三部作」は、鈴木氏の「ジャーナリズム」が法的・倫理的に問題視されていることを示している。
許されない理由
後藤氏にとって、鈴木氏の発言は単なる中傷ではなく、拉致監禁被害者の苦しみを無視する行為だった。12年以上の監禁を「引きこもり」と揶揄することは、社会的・倫理的に許されない行為であり、被害者への深刻な侮辱として受け取られた。後藤氏はこのような発言が許されない以上、法的な手段を通じて自らの名誉と尊厳を守る必要があった。
<第4章>
自分のことは棚においた告訴
後藤氏の代理人である徳永信一弁護士を告訴した。しかし、家庭連合信者側は、鈴木氏が信者を「ゴキブリ」や「ダニ」と呼んでいたにもかかわらず、自身が同様の発言を受けると告訴する姿勢を「情けない」と批判している。
話にならない行動
鈴木氏はこれまで、家庭連合信者を「ゴキブリ」や「ダニ」と呼び、侮辱的な発言を繰り返してきた。それにもかかわらず、自身が「ナメクジ」や「カマキリ」と呼ばれたことで告訴したことは、司法に対する疑問を投げかける。家庭連合側は「もしこの程度の発言で告訴するなら、家庭連合信者56万人が鈴木氏を刑事告訴することも可能ではないか」との声が上がっている。鈴木氏の発言は、信者全体に対する侮辱と受け取られかねず、批判が強まっている。
ニ対十の戦い(後藤徹裁判の弁護士数)
後藤氏の名誉毀損裁判では、原告側(後藤氏)の弁護士が2人に対し、被告側(鈴木氏)の弁護士が10人と、圧倒的な人数差があった。それでも後藤氏は勝訴を勝ち取った。
ジャーナリストの死(鈴木エイト敗訴)
2025年1月31日、東京地裁は鈴木氏の発言を名誉毀損と認定し、11万円の賠償を命じた。鈴木氏にとって、これはジャーナリストとしての信頼を失う敗訴だった。
追い詰められた人々の断末魔(全国弁連拉致監禁ビジネス関与暴露)
裁判を通じて、全国弁連拉致監禁に関与する「拉致監禁ビジネス」の実態が暴露された。組織的な犯罪ネットワークの存在が浮き彫りとなり、反統一教会側の主張に疑問が投げかけられた。
まったく不十分な“勝訴判決”
鈴木氏側は「引きこもり」発言に対する名誉毀損認定を不服として控訴を表明。「やや日刊カルト新聞」の藤倉善郎氏は、訴額ベースで99%が認められたとして「エイト氏の勝訴」を強調し、「阪神が巨人に99対1で勝ったようなもの」と主張している。しかし、後藤氏側代理人の中山達樹弁護士によると、鈴木氏側は控訴理由書の提出期限(民事訴訟規則182条に基づく控訴から50日以内、2025年4月4日)を守れず、30日近く経過した現在(2025年5月31日時点)でも未提出だという。80日以上も控訴理由書を出せないのは「前代未聞」とされ、鈴木氏側の訴訟対応に問題があるとの批判が上がっている。また、第三者の弁護士から控訴により鈴木エイト氏の賠償額が上がる可能性が指摘されている。
イヤガラセし14年6か月
鈴木エイト氏のイヤガラセ開始日から敗訴するまでの5329日は、2010年7月1日から2025年1月31日までの期間で、14年6カ月と22日に相当する。鈴木氏のイヤガラセはこの長い期間にわたって続く。敗訴しても記事の削除、謝罪もない異常さがSNS上で充満している。
<終章>
拉致監禁と強制棄教の内情(監禁派のパシリ)
鈴木氏は渡辺博氏の手紙作戦に関与し、「監禁派のパシリ」として拉致監禁を助長する役割を果たしたとされる。拉致監禁問題は、監禁派が組織的に行ってきた犯罪行為であり、鈴木氏の発言は被害者をさらに傷つける結果となった。後藤氏は今後も拉致監禁撲滅を目指し、被害者の声を広める活動を続けるだろう。

死闘 監禁4536日からの生還