旧社会党と北朝鮮拉致の闇――柏崎の海辺で見た「人さらい」の真相と特定失踪者リスト

柏崎の海辺で見た「人さらい」の実態1984年2月、記録的な豪雪が日本海側を覆った冬、新米市議だった舘雅子氏は、行政視察の一環で新潟県柏崎市を訪れた。最終行程の刈羽原発視察を終え、鈍色の海を眺めながら宿に向かおうとすると、市職員の顔色が一変。「とんでもない!私が車で送ります」と、まるで何かを隠すように彼女を車に押し込んだ。「海の向こうは外国だから…」と口ごもる職員の言葉に、舘氏は違和感を覚えた。当時、北朝鮮社会党土井たか子党首や朝日新聞NHKが「素晴らしい国」と持ち上げる時代。舘氏は「ソ連のことか?」と訝しんだ。宿に着くと、雪に閉ざされた東屋風の離れ座敷。嫌な予感が走る中、女将が重い口を開いた。「北朝鮮の船が沖に泊まっていて、無断で上陸してくるんです。海岸でアベックに網をかぶせて沖に連れていく…人さらいですよ」。さらに衝撃的な言葉が続いた。「それには日本人も協力してる。組合の…」と口ごもる女将。舘氏が追及すると、「東京で議会の仕事をしてる人に話したかった」と打ち明けた。翌朝、母屋の囲炉裏端には6~7人の男女が集まり、異様な熱気を帯びていた。渡されたチラシには「国鉄・電電分割民営化反対」「中曽根内閣打倒」「金日成主席南北統一万歳」と過激なスローガン。さらには「朝鮮労働党日本社会党が密接に連携」との文字が躍る。彼らは中曽根政権の民営化政策を「組合つぶし」「アカ落とし」と非難し、「海の向こうのアカイ国と友好関係を築く」と意気込んだ。若者が得意げに語った。「宮本共産党金日成と決裂した後、朝鮮労働党は我が日本社会党と手を結んだ。南北統一の暁には我々も立ち上がり、東アジア共和国を築く」。舘氏が「日本を分裂させる気か?」と切り返すと、「国鉄民営化を進めるなら分裂もやむなし」と平然と答えた。さらに、「人間と物質の交流」と称して拉致を正当化するような発言が飛び出した。「人さらいの話は本当か?」と直撃すると、「そんなことは口に出してはいけない」と一斉に口を閉ざした。社会党と拉致の「5原則」舘氏が後に知ったのは、拉致に協力した日本人グループが「5原則」に基づいて対象者を選んでいた事実だ。
①知人に代議士がいない
②警察関係者が周囲にいない
③外国人の知り合いがいない
④地域の名士と無縁
⑤格闘技経験がない――これらを満たす人物の情報を北朝鮮工作員に提供していたという。「確信犯」として拉致に加担していたのだ。この証言は、旧社会党(現・立憲民主党の源流)が北朝鮮の拉致作戦に深く関与していた可能性を示唆する。舘氏は「社会党本部の指令と驚くほど一致していた」と振り返る。土井たか子党首は「拉致はあり得ない」と公言し、拉致問題の解決を遅らせたと被害者家族から非難された。現立憲民主党有田芳生氏も、拉致問題を安倍政権批判に利用し、解決を妨害していると指摘される。柏崎での社会党関係人物リスト
  • 組合関係者(氏名不詳):舘氏が柏崎で出会った囲炉裏端の6~7人の男女。国鉄電電公社の民営化反対を掲げ、「金日成主席南北統一万歳」を唱え、北朝鮮工作員と協力して拉致に関与していたと証言。地元の労働組合社会党支持者である可能性が高いが、具体的な氏名は不明。
マスコミの沈黙と隠されたテープ舘氏がこの体験をテレビ朝日に持ち込んだテープは、握り潰された。「不利な情報は扱わない」との暗黙のルールが働いたのだ。産経新聞を除く大手メディアは拉致問題を黙殺し、自虐史観に染まった報道姿勢が問題を複雑化した。舘氏は「マスコミがきちんと報道していれば、ここまで問題が長引かなかった」と憤る。40年目の闇と被害者の叫び北朝鮮による拉致被害者の帰国は、小泉純一郎元首相の訪朝交渉でのみ実現した。帰国した5人は北朝鮮人と結婚していない被害者に限られ、死亡とされた8人の遺骸は一切確認されていない。警察庁は「拉致の可能性を排除できない行方不明者」を871人と推定するが、北朝鮮政府は認めていない。 拉致は人権侵害にとどまらず、刑法上の「幇助犯」、民事上の「共同不法行為」に該当する重大犯罪だ。被害者家族は「野中広務亀井静香若山富三郎土井たか子といった政治家が20年間解決を遅らせた」と怒りをぶつける。沖縄では今なお従北思想のグループが活動し、拉致問題を利用して政権批判を展開する動きも見られる。歴史の目撃者が訴える舘氏は「慰安婦問題も拉致問題も、自虐史観に根ざした反日運動が結びついている」と断じる。彼女の証言は、戦後日本の闇を浮き彫りにする。40年近く未解決の拉致問題の裏には、政治家とメディアの「不作為の犯罪」が横たわる。舘氏は言う。「この歴史を記録し、真実を後世に伝えなければならない」。その声は、雪深い柏崎の海辺から今も響いている。

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