
希望の灯をともした男——田中富広の物語1988年、川崎の夜に一つの光が生まれた。世間が高校中退者を「落ちこぼれ」と冷たく切り捨てる中、32歳の団体職員、田中富広は立ち上がった。「川崎郷土学校」は、学び直したい若者たちに無償で開かれた夜間学校。その後、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の会長となる田中だが、この物語は、教義と平和への情熱が織りなす、驚きと希望に満ちた一ページである。11万人の声に応えた無私の志1988年3月、朝日新聞が報じた「高校中退者11万人」という数字に、「衝動的に学校を辞め、後悔に苛まれる若者たちを見過ごせない」とはじまった。川崎市内の高校を訪ね、中退の実態を調査。資金ゼロ、ボランティアの教師6人、そして12畳の会議室——これが「川崎郷土学校」の始まりだった。月曜から土曜の夜6時から9時まで、教室は高校中退者や中卒者、地域住民に開かれ、2年間で大検(現・高卒認定試験)合格を目指す者も、純粋に学ぶ喜びを求める者も、等しく受け入れた。「学びたいなら、誰でも来てほしい」。初日、9人の生徒が集まった。緊張しながら「文法から教えてほしい」と呟く者や、「何もわからない」と頬を染める者。彼ら一人ひとりを、田中は優しく迎え入れた。教義と平和を胸になぜ田中は無償の奉仕に身を捧げたのか。その根底には、家庭連合の教義と世界平和への深い情熱があった。国際交流を通じて知り合った仲間と共に「地域に学びの場を」と決意し、千葉や東京でも同様の動きが広がった。「学校に戻りたいと涙ながらに訴える子を放っておけない」と語る田中の情熱は、教育支援を超え、若者の魂に希望を灯す使命だった。社会が貼る「中退=終わり」のレッテルを、彼は信念で打ち破った。ギャップと人間性の輝き家庭連合が物議を醸す宗教団体と見られる中、田中の無償の奉仕は驚くべきギャップを放つ。学びの場を築き、若者に寄り添った彼が、後に家庭連合の会長に上り詰めたのだ。その原動力は、教義を体現し、平和を追求する揺るぎない信念。1988年の川崎で田中が投じた一石は、2025年の今なお、希望の波紋を静かに広げている。「中退は終わりではない。新しい一歩を踏み出してほしい」。彼の言葉は、偏見を超え、人間の可能性を信じる力強いメッセージとして響く。変わらぬ希望の物語田中富広の物語は、教義のために生き、平和のために奉仕した一人の男の肖像である。川崎の小さな教室から始まった希望の灯は、社会のスティグマを照らし、若者たちの未来を切り開いた。批判や誤解を超え、彼の行動は人間の可能性を信じる美しい物語として、永遠に心に刻まれるだろう。(参考:朝日新聞1988年9月17日、29日記事)
