韓国・世界日報報道: “一つの宗教団体の「宗教の自由」が崩壊する時、次は他の宗教団体と思想、そして私たち全員の自由が危うくなる。” その5つの理由とは?

韓国・世界日報報道: “一つの宗教団体の「宗教の自由」が崩壊する時、次は他の宗教団体と思想、そして私たち全員の自由が危うくなる。” その5つの理由とは?

2025年11月15日
韓国・世界日報が15日付で掲載した寄稿文が、韓国国内で熱い議論を呼んでいる。タイトルは「[寄稿] 宗教指導者の拘束事件が投げかける民主主義の問い」で、執筆者は申浩哲(シン・ホチョル)牧師(ヘヌリ教会)。この記事の核心は、**「一つの宗教団体の宗教の自由が崩壊する時、次は他の宗教団体と思想、そして私たち全員の自由が危うくなる」**という警鐘だ。
なぜ、特定の宗教指導者(文鮮明氏の後継者とされる韓鶴子総裁とみられる)の拘束事件が、単なる「一団体の問題」ではなく、民主主義全体の危機に直結するのか? 申牧師の論理を基に、その5つの理由をわかりやすく解説する。この事件は、韓国を超えて日本を含む民主主義国家への警告として、注目に値する。1. 無罪推定の原則が崩れると「感情の裁判」が横行する記事の出だしで申牧師が指摘するのは、メディアと世論による「事前断罪」の危険性だ。まだ有罪判決が出ていない指導者を、すでに「悪の象徴」として叩く風潮が広がっている。
「法廷での最終判断が下される前から、世論はすでに一人の指導者と彼が率いる宗教全体を断罪している」
これは**無罪推定の原則(Presumption of Innocence)**の崩壊を意味する。一度この原則が揺らげば、感情論が司法を凌駕し、誰でも標的になり得る。宗教指導者から始まり、次は野党政治家、ジャーナリスト、一般市民へと「連鎖的な自由の縮小」が加速する。民主主義の基盤が、世論の「感情の裁判」によって簡単に崩壊するのだ。2. 「法の名の下に」宗教を抑圧する現代版弾圧過去の宗教弾圧は物理的な迫害が主流だったが、現代では**「法の正当性」を盾にした巧妙な手法**が使われていると申牧師は分析する。
過去の弾圧
現代の弾圧
物理的迫害(投獄・処刑)
**「法の名の下に」**の捜査
礼拝禁止令
捜査機密のメディア流出
教会の焼却
「見せしめ式押収捜索」
「コロナ時の礼拝制限、特定の宗教団体への偏向的法適用、メディアの歪曲報道は、宗教の自由がどれほど簡単に侵害され得るかを示した」
この手法が「成功」すれば、次は反政府的な言論や少数派の思想に適用される。法が抑圧の道具化されることで、宗教の自由は静かに失われ、他の領域の自由も追従する。3. 宗教の自由=「すべての自由の土台」申牧師の主張の核心は、宗教の自由が他のすべての自由の基礎である点だ。
「宗教の自由は、表現の自由・良心の自由・思想の自由の基礎」
その理由は、宗教が国家の干渉が及ばない、最も内面的な領域だからだ。ここに国家が介入を許せば、個人の心の奥底まで監視・統制が可能になる。例として:
  • 「この宗教団体は危険だから規制」
  • → 「この政治団体は危険だから規制」
  • → 「このSNS投稿は危険だから削除」
この**「スロープ効果」**(滑りやすい坂)が働き、一つの自由の崩壊が全体の自由を崩壊させる連鎖を生む。4. 「権力の恐怖」が生む悪循環さらに、申牧師は権力者の不安定さが問題を悪化させると指摘する。
「正当性が脆弱な権力ほど、批判的な宗教指導者を『潜在的脅威』とみなして統制しようとする」
これが**「法の政治利用」**を招き、以下のような悪循環を生む:
  1. 司法の独立性が損なわれる(捜査が政治的に操作)
  2. 「見せしめ捜査」が常態化(威嚇目的の公開捜索)
  3. 「異端狩り」のような社会風潮が広がる(世論の分断)
結果、「次は誰の番か?」という恐怖が社会を覆い、沈黙と自己検閲を促進する。権力の恐怖が、自由の全体を蝕むのだ。5. だからこそ「一つの崩壊」は「全体の危機」最後に、申牧師はこれらを統合して「連鎖反応」の全体像を描く。
 
[一宗教団体の自由侵害]
  ↓
[司法・メディアによる「見せしめ」常態化]
  ↓
[他の少数派(政治・思想・言論)への適用拡大]
  ↓
[「国家がどこまでも介入できる社会」の完成]
「一つの自由が失われる時、残りの自由は時間の問題にすぎない」
これは**「ドミノ理論」の自由版**。一つの宗教団体の崩壊が、民主主義のドミノを次々と倒す引き金になる。今、問われているのは「法か、良心か」申牧師はこう締めくくる。
「法の名の下に誰を断罪するのか、それとも良心の名の下に人間の自由を守るのか」
この韓国の事例は、日本を含むすべての民主主義国家への警鐘だ。「うちの国は大丈夫」と油断している間に、「法の名の下に」あなたの自由も削られ始めているかもしれない。宗教の自由を守ることは、私たち全員の自由を守ること――今こそ、その意味を再認識する時だ。参照:
世界日報 2025.11.15
「[寄稿] 宗教指導者の拘束事件が投げかける民主主義の問い」
執筆:申浩哲(ヘヌリ教会牧師)