共産主義の鉄のカーテン下で輝いた信仰の光:チェコスロバキアのマリア・ジブナ殉教者とアントン・ウナク博士の証し

共産主義鉄のカーテン下で輝いた信仰の光:チェコスロバキアのマリア・ジブナ殉教者とアントン・ウナク博士の証し

マリア・ジブナ氏(光言社より)

2025年11月21日

共産主義体制が厳しく宗教を抑圧した旧チェコスロバキアで、信仰の自由を求めて命を捧げた一人の若い女性がいた。マリア・ジブナ(Marie Živná、享年24歳)。1974年4月、ブラチスラバ刑務所の独房で不審な死を遂げ、統一教会(世界平和統一家庭連合)の最初の殉教者として今も記憶されている。彼女の死から50年が経った今も、チェコ・スロバキアの信徒たちは追悼を続け、共産主義の残虐さを証ししている。

プラハの春の希望と迫害の嵐

1968年、短い自由の春「プラハの春」が吹いたチェコスロバキアソ連軍の侵攻で再び鉄のカーテンが閉ざされる中、ドイツ出身の宣教師パウル・ヴェルナーが派遣したエミリー・シュテベルが国境を越え、秘密裏に伝道を開始した。1年で12人の会員が生まれ、1970年代初頭にはベトカ・ダニスコバ指導の下、18都市にセンターが開設されるほどの勢いを見せた。

マリア・ジブナは1972年、ブルノ大学で美術を学ぶ学生だった。友人ミハル・グロンダの誘いで3日間の原理セミナーに参加し、「初日にこれが真理だとわかった」と即入信。フルタイム信者となり、国家指導者ベトカの補佐として献身的に働いた。1972年クリスマスにはベトカらと自動車事故に遭いながらも、麻痺したベトカを母親のように介護した。

しかし、秘密警察の監視は1971年から始まっていた。1973年9月、迫害が本格化。数週間で30人近くの信者が逮捕され、マリアも晩秋に投獄された。尋問で重要な情報を一切漏らさず、仲間を守った。

獄死前日の日記と不審な死

1974年イースター直前の4月12日(または16日)、マリアは独房で死亡。公式には原因不明。獄友の証言では「様子がおかしく」なり、医師の診察後、罰として独房監禁された。ユライ・ライダ兄弟(同投獄者)のアーカイブ調査では、医療報告書に「強姦の可能性」が示唆される記述があった。

両親に届いた遺体は銅の封印棺。開棺すると、24歳の若者が白髪・灰色の顔で横たわっていた。葬儀には村に1000人以上が集まり、秘密警察が監視する中、共産政権への抗議の象徴となった。文鮮明師は1994年、彼女を「共産圏最初の殉教者」と宣言した。

アントン・ウナク博士(韓国・世界日報社より)

民主化の立役者、アントン・ウナク博士の証言

共産主義の抑圧を自ら経験したもう一人の人物が、チェコの長老宗教人アントン・ウナク博士(82歳)だ。1970年代初頭、統一運動を組織した罪で3年8ヶ月の懲役を経験。1989年のベルベット革命後、民主化に参画し、現在は選文大学グローバル副総長として韓チェコ交流をリードしている。

最近の世界日報インタビューでウナク博士はこう語った。

朝鮮半島統一は単なる民族問題ではない。世界平和の構造を変えるものだ。で、力ではなく心の教育と信頼から始まる。1991年の文鮮明韓鶴子総裁の平壌訪問は歴史的機会だったのに、韓国社会がそれを活かせなかった」

彼は北朝鮮の「無神宗教」的な体制を指摘し、ドイツ統一モデルを機械的に適用するのは誤りだと警告。韓日海底トンネルなどのインフラ接続を「平和の構造を固定する力」と評価する。

「信教の自由」は犠牲の上に築かれる

マリア・ジブナの死は、共産主義がどれほど残虐に信仰を踏みにじったかを示す。今日、韓国で韓鶴子総裁が不法拘束される状況を見るとき、歴史は繰り返すのか? ウナク博士の言葉を借りれば、「自由は突然与えられるものではない。数多くの犠牲と選択の積み重ねだ」。

鉄のカーテンは崩壊したが、宗教弾圧の影は今も世界に残る。マリアの微笑みと犠牲を忘れず、真の「信教の自由」と平和を祈ろう。